「早熟するな」
僕の中にある問題を見抜いた義理の父に言われた言葉。
今でも自分を繕おうとする性質が出てきてしまった時、いつも思い出す。
幼い頃から自分の思考回路は、自由な人間のそれとは逆だった。
あるはずのない答えや模範解答を探して、それに自分を合わせる。
簡単に言えば、自分で考えることから逃げてきた。
パン屋になりたいと思ったのもそうだった。
高校時代に病気になって、食事制限が必要になった。
「自分と同じように苦しんでいる人たちの役に立ちたい。体に良いパンを作りたい。」
パン屋でバイトをしていた自分が逃げるように出した「模範解答」だった。
「そうだ、パン屋に入ることが自分の使命だ。これは尊い考えだ。」
関関同立を卒業して、就活もろくにせず、簡単に受かったパン屋に就職した。
果たして、この「尊い考え」などというものがどこからくるものだったかは、パン屋に入って毎日パンを焼いていればすぐにわかった。
「自分は本当にこれがしたかったのか。これが一生続くのか。どうしよう。」
当初の自分は、「思い込み」「傲慢」「無知」の3点セット。
それに他責を加えて生きていた。覚悟もなく、自分に不都合なことがあれば、すぐに誰かのせいにした。
このパン屋への就職が、今でも「新卒という既得権を捨ててしまった出来事」として心に刻まれている。
(就職先がパン屋だったことに対してではなく、あくまでろくに考えもしなかった自分への思いだと理解していただきたい)
自分で考えることができないと、人は見えない誰かの理想に合わせようとする。
最初は親に「こうあるべき」と言われたことが、その後は聞こえもしない誰かの声に合わせていく。
厄介なのは、見栄と虚勢を張ったことに対して、大人に褒められて育つこと。
自分はそういう人間だった。
「早熟するな」
この言葉の答えは、そういうことだった。
後付けの理由で自分を繕って、成熟したように振る舞ってしまう人間に成長はない。
人は生涯、分からないまま生きていくから。
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